マイホーム・マイカー幻想を捨てて「シェアハウス」「カーシェア」!シェアすることで幸せになれる!
先日の「地方都市に住む人も「マイホーム」「マイカー」をやめた方が楽しく暮らせる11個の理由。」に続くエントリー。
7月8月とちょっとだけど、八戸に帰ってました。
毎回帰省すると思うのは色々いいお店があって、美味しい食べ物があって、いい景色があって改めていいところだなと思う反面、街は衰退してあんまり良くない方向に進んでいる印象を受ける。
今時どこに行っても中国人の観光客が大勢いるのに、街にいるのは未だに風俗のキャッチぐらいだ。
僕は基本的にはこういう地方都市の衰退の根源はマイホーム・マイカー幻想だと思っていて、所有から共有へ、シェアすることで豊かになると思っている。
マイホーム・マイカーが生活を閉鎖的にする
参照 : Wikimedia.
郊外にマイホームを買い都心にマイカーで通勤する、或いは郊外の大型ショッピングセンターに買い物しにいく。
車で移動するから住む場所と働く場所が目的別、機能的に分断され、家庭と職場が閉鎖的になっているため偶発的に面白い場所やイベントに出くわすことはない。
繁華街に人は歩いていないし、シャッター街化してしまっていて、みんな郊外のスーパーやファミレス、ファーストフード店に行くいわいる「ファスト風土化」が進んで魅力のある都市ではなくなっている。
最もこれは1990年代、2000年代から言われていて、八戸市や青森市だけでなく多くの日本中の地方都市がそうなっていて、中心街や商店街からどんどん活気がなくなってその都市の美味しいお店や楽しい場所がなくなってくる。
マイホーム・マイカーが文化程度を低くする
ちなみに僕はマイホーム・マイカーの全てが悪いとは思っていなくて、本当に好きなものならどんどん買えばいいが現状マイホーム・マイカーのほとんどが惰性で買っていると思う。
うん百万、うん千万でローンを組んで、マイホームを買う人のほとんどが建売りやハウスメーカーの商品でそこにこだわりや建築的美意識などもなく、マイカーを買う人のほとんどが軽自動車やただ大きいだけのファミリーカーで必要だから買ったような感じだ。
だからハウスメーカーや車のメーカーは現状を維持してモデルチェンジを繰り返しイノベーションを起こす商品を開発しない。
それを買ってしまうから地方の風景がつまらないものになるし、そこに住む人の意識も高くならない。
地方であっても日本は気候や文化も場所によって異なるから特徴的な住宅があってもおかしくないはずだし、車が好きならフェラーリやメルセデス、国産ならレクサスなどいい車にのっていてもいいはずだ。
現在の地方都市は20世紀の負の遺産
ル・コルビジェが都市設計した都市「チャンディーガル」。職住分離となるような計画で住宅地、商店の区画、役所の区画などが分かれをれを大きな道路が繋いでいる。
ル・コルビジェが「輝く都市」として20世紀の都市を提言したが、それが踏襲され戦後20世紀の日本は製造業などを基盤に労働者を対象とし、ニュータウンと幅広く張り巡らされた道路を作り、オフィス街や工業地帯に作る職住分離の効率良く通勤できる都市が多くできた。
それで経済が上手く回っている間は都市はある程度発展を遂げていくが、製造業を前提とした経済が限界になると地方都市は緩やかに衰退する。
今は海外の労働力の安い国へ大規模な製造業が移行し、その代わりにもっとクリエイティブな仕事やIT、ベンチャーのような仕事をするしかなくなってくる。
そういった仕事は東京などの大都市に集中しているが、近年はスマートフォンなどのデバイスのお陰でインターネットがより身近にり地方でも仕事することができる。
地方都市はそういった人や企業を集める必要があるし、商店街には空き店舗や空きビルなどが多くなっているのだからそれをコンバージョンして使うと都合がよい。
中心街に集まって住んだり、小さくても数多く企業が集まって来たりすれば、飲食店などもまた増えてくる。
「シェアハウス」「カーシェア」で都市を変える
写真はポルトのゲストハウスだけど、マイホームの小さいリビングよりシェアハウスの大きなリビングの方が良くない!?
郊外に住むのではなくて都心に住み、通勤を徒歩や自転車で可能な範囲に集まって住む。
車は週末に遠出するときだけで良いから「カーシェア」で十分だろうし、普段の買い物は近所やネットでよいし、所有するコストや事故のリスクが少なくて済む。
職住近接であれば、お昼休みに自宅に戻ったり近所で家族とランチしたり、働き方がフレキシブルな職場で、子育て中の家庭では夫婦間で交代で面倒も見やすいだろう。
郊外のマイホームでは周囲とのコミュニティが形成されにくいが、街の中や近くに住むことで色々な出会いが生まれたり、子供達も幼いときから社会と接する機会が増える。
さらに従来のマンションなどではなく「シェアハウス」(しっかりとデザインされた)に住む人が増えて多様な世代や職種の人が住むことにより、現在のような希薄なコミュニティになることはない。
超高齢化社会化が進む地方都市では比較的健康的なお年寄りは若い人達と近くに住むことで、若い人に助けられたり、若い人の役にも立てる。
村社会のように窮屈な気もするが、引越しが気軽にできない現在の賃貸アパート・マンションではなくシェアハウスだから嫌になったら引っ越せばよい。
家族にとっては少し前に流行ったコーポラティブハウスのようなイメージだろうし、子供が増えたり成長したり、或いは自立していったりといったライフスタイルの変化にも気軽に引っ越したり借りる部屋の数を減らしたりといった自由が効く。
所有から共有(シェア)へ
マイホーム・マイカー幻想がそれぞれの地方の持つよい風景やコミュニティ、食文化などを崩壊させている。
八戸市など多くの地方都市が進める「コンパクトシティ」はマイホーム・マイカー幻想を捨てて初めて実現できるし、共有することで社会的コストも私的コストも大幅に削減できるハズだ。
レイチェル・ボッツマンの「シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略<共有>からビジネスを生みだす新戦略」が出版されてから約5年経つが、未だに地方都市に住む人は「所有」の概念が強くて、特にマイホーム・マイカー幻想から抜け出せなくて「共有」(シェア)の文化に変化していない。
家や車を共有するということは、今までのプライベートとパブリックという境界を融解して、色々な「モノ」を捨てて「コト」を得るということとその「コト」を同じ空間で共有するというとだ。
街自体が住むことも働くことも消費活動でさえも同時にできる空間であれば自然に空間を共有できる。
共有できる空間を作り出すためには「シェアハウス」「カーシェア」というシステムが最適で、地方都市に活気を作り出すことができる。
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