ナチス・ドイツによるホロコーストの現場である「アウシュヴィッツ強制収容所」へダークツーリズム。
ポーランドの古都「クラクフ」で1泊した後は、クラクフのバスターミナルからワン・デイ・トリップ。
向かったのはあの「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」。
バスチケットをターミナルで買ってミニバスで約1時間半。
Małopolskie Dworce Autobusowe S.A. w Krakowie
住所:Bosacka 18, 31-505 Kraków, Poland
ナチス・ドイツによるホロコーストの現場「アウシュヴィッツ強制収容所」
アドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツが1940年から第二次世界大戦終戦の1945年までの間、国家を挙げて推進した優劣主義、人種差別とアーリア人至上主義に基づいてユダヤ人などの少数民族や政治犯、身体障害者などを「社会不適応者」「劣性種族」として各地の強制収容所に送った。
その最も象徴的な場所が、ナチス・ドイツによるホロコーストの現場「アウシュヴィッツ強制収容所」であり、1979年に世界遺産として登録されていて、人類が二度と同じ過ちを繰り返さないための負の世界遺産と言われている。
「アウシュヴィッツ強制収容所」を舞台としたホロコーストで、ピーク時の1943年にはビルケナウなどを含めてアウシュビッツ全体で14万人が収容されていて、諸説あるけれども150万人が殺されたとされている。
アウシュヴィッツの中は、煉瓦造りの収容所の建物が立ち並んでいて、高圧電流が流れていた鉄条網が張り巡らされ、ところどころに監視塔の建物が配置されていた。
訪れた日が秋の終わり、冬の始まりな感じの肌寒くて厚い雲で曇っていたこともあって、より寂しく悲しい雰囲気が漂っていた。
綺麗な紅葉もここでは悲しさを演出する要素の一つになっていた。
多くの被収容者が銃殺刑で殺されたと言われる「死の壁」には多くの献花がされていた。
言葉を失うホロコーストの生々しさ
建物の中は展示空間になっていて、強制収容所そのままの姿を残している部屋だったり、ここで亡くなった人たちの様々な持ち物を展示していたり、外観に比べて中は生々しい。
被収容者が着ていた囚人服は、汚れもそのままに展示されている。
言葉を失うのは、収容されいた人たちの靴や眼鏡、カバン、義足などの数。
おびただしい程のその数は涙無しでは見ていられない…
カンボジア・プノンペン近郊の「キリングフィールド」の人骨や髪の毛の数よりもはるかに多くて、人の命がただの数字として扱われていたことに胸が痛くなってくる。
収容されるときに撮られた写真には、様々な国や職業、年代が記されていた。
全く殺される必要のない人たちが機械的に殺されていったことは、悲しさはもちろんだけど、人間の怖さを感じる。
ホロコーストの震源地とも言えるガス室や焼却壕
最も怖いのは、亡くなった人の髪の毛や大量殺戮のために使われた「チクロンB」と言われるガスの缶の山。
そして、ガス室でユダヤ人を殺すのもソルダーコマンドと言われるユダヤ人で、ナチス・ドイツのアーリア人たちの負担を減らすために自分たちの同胞を殺させた。
効率良く処刑するために人体実験までしてガス室を作って多くの人を殺した事実は、信じられないけれど受け止めないといけない。
そして、死体はアウシュヴィッツ内の焼却炉や焼却壕で焼かれ、ゴミのように近くの河に捨てられた。
ガス室や焼却壕の異様な雰囲気に多くのツアー参加者は涙していた。
ナチス・ドイツのホロコーストで亡くなった人たちの名前を紙に書き連ねるとこれだけの厚さになる。
最も名前もわかっていない人も多くいるので今でも加筆されることもある。
負の世界遺産と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」は、ホロコーストの怖さもそうだけれど人間がこれだけ残酷なことを実行するのか、という事実を受け止めるのがとても辛い体験をくれる施設だった。
ダークツーリズムの中でも最も悲しい気持ちになる場所で、訪れるには結構勇気が必要だったけれど、観ておくべき場所でもあると思った。
見学ツアーが終わると施設内のレストランでランチをしてから、シャトルバスでアウシュヴィッツ第二強制収容所にあたる「ビルケナウ」に向かった。
Miejsce Pamięci i Muzeum Auschwitz-Birkenau – アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館
開館時間:7:30~19:00
URL : http://www.auschwitz.org
住所:Więźniów Oświęcimia 20, 32-603 Oświęcim, Poland
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