なぜ「前世・来世・生まれ変わり」や「輪廻転生」「カルマの思想」を信じると不幸を招いてしまうのか!?
もう21世紀も15年経って、今この2015年になってもスピリチュアル、特に「前世・来世・生まれ変わり」や「輪廻転生」、形を変えて「カルマの思想」を語る人がいて、驚く。
おおよそ仏教的な宗教に近いような感じがするが、ブッタも生まれ変わりのような「輪廻転生」は説いていないし、プリミティブな仏教には「前世・来世」などはない。
もちろん個人個人が何を考えるか、何を信じるかは自由だけれども、それをファッションのように(しかもファストファッションのように)安易に布教してしまうことの危うさが理解されていないように思う。
絶対的な差別を生む
Photo by Emmanuel DYAN.
スピリチュアルな人達が説く「輪廻転生」思想はおおよそ「前世・来世」においても「魂」が永続的に続いていて、前世でした善悪(カルマ)によって「魂」の位が決まり現世に生まれたときから影響するというシステムだろう。
だが、生まれながらにしてある優劣を付けることを差別と呼ぶ。
「輪廻転生」を信じる人から見ると、貧困な地域や家庭に生まれたり、身体的に不自由に生まれたり、或いは国によっては差別階級の人が前世のカルマに由来するからしょうがないと思っているに違いない。
そもそも善悪を誰が判断するかによって変わってくるのだが…
排他的な思想に陥り争いごとを招く
そもそも、この善悪は時代によって違うし、誰が判断するかによって変わってくる。
例えば、90年代のオウム心理教によるテロは、彼らにとっては「輪廻転生」とカルマの思想により、悪を成敗する善きことだと思っていたわけで、それが社会通念上間違いだってことは明白だ。
それに若干違うけれど、911から始まるアフガニスタン・イラク戦争もアメリカ南部のバイブルベルトに住む人達(キリスト教原理主義者)の指示で戦争が正当化され、彼らにとっては善きこととされた。
善悪なんて時と場合によって変わる。
現世放棄に繋がる
差別と表裏一体だけれど、辛い立場にある人が前世のカルマによってそうなったとしたのならば、現世においてそれを打開しようとかということが無意味になってしまう。
実際最近は経済発展によってなくなってきたらしいが、インドのヒンドゥー教では「輪廻転生」とカルマの思想があり、下位カーストに属する人は苦しい立場に追い込まれながらそれをしょうがないと受け入れ生活している。
本当はブッタはカルマは関係なくて今を生きろ、みたいなことを言ってたはずなんだけどね。
カルト教団や心霊商法にひっかかる
よくあるのは「カルマの思想」がポイントカードのようにポイントを貯めるようにカジュアルに広められていて、負のカルマを埋めるためにカルト教団や心霊商法、マルチ商法にハマる人がいる。
だから一方的な善をしてポイントを貯めるような人が勧誘してくる。
本人にとっては善いことをしているつもりなんだけど、それがポイントを貯めて来世に楽ができるように「輪廻転生」しようとしているすごく欲深いことをしている自覚がない。
まぁ、残念なことにこういう全うなことを言うと、ニヒリズムと思われるのか心の乏しい人と言われるんだよね(笑)
当はこういう安易に得られる慰安はなくて、本当に美しいものは突き詰めていかないとないと思うんだよね。
前世・来世とかそもそもないし、本今この瞬間をより良く生きられればいいんじゃないかな。
とつまらないことを書いてみた。
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